お布施のはじまり|キリスト教が迫害された時代から始まった悪しき習慣だった

葬送

お布施はいつ始まったのか

日本に仏教が伝わった4世紀(飛鳥時代)時点で、豪族などの権力者が自分の名声を広める意味で、仏教という新しい考え方に多大な出資・寄付・寄贈(お布施)をし、立派な建築物を建立しています。

このころは一般庶民には何の関係もありません。

一般庶民にまでお布施の概念が持ち込まれるのはそこから1000年以上後の15世紀頃、キリスト教禁止令によりキリスト教徒でないことを証明するための踏み絵や檀家制度が導入され始めたあたりからです。

逃げ場のない檀家制度

檀家でなければキリスト教徒という現代では意味の分からない決めつけにより、否応なしに檀家となることが義務付けられ、檀家でない者は住む場所もなく迫害されました。
一度檀家になればやめることもできず、先祖の年忌法要、故住職の法要、お盆や彼岸参り、釈迦の生誕と入滅の日などにお布施をすることが法律で決められ、お布施をしないとキリスト教徒に分類され、やはり迫害されていました。

正当な理由で遠方に移住したならば、その寺の檀家をやめることは出来ましたが(移住先でも異なる寺の檀家です)、正当な理由なしに移住することは脱藩になり、やはり迫害を受けるという八方塞がりの時代でした。

いやいやでも檀家制度が受け入れられていった背景には、それまで一般庶民が土に埋めていただけの遺体をまるで上流階級かのように墓に入れて供養してくれるという側面があったためです。

お布施の相場はいつ決まったのか

町民や農民など一般庶民が檀家に組み入れられ定期的にお布施を渡していたころは、檀家制度自体が戸籍の役割を果たしていたことがあり、お寺側は大体の収入(収穫量)が分かっていたと考えられます。
そのため「気持ちで結構です」と言えば、その人にとって適正な額なのかは把握できたのです。

さらに村の寄合(よりあい)でお布施についての話題が出れば、誰が多く出した誰が少なく出したなどはすぐに露見したでしょう。
そうするうちに、町人なら店の規模、農民なら作付面積などでお布施の相場というのもが形成されていきました。

お布施とは喜捨

喜んで捨てると書いて喜捨(きしゃ)という仏教用語があります。
本来のお布施の意味合いこそが喜捨で、「このお布施をお役に立ててください」といってお渡しするもので、寄付と同義だと思います。
ここに、お寺の格であるとかお布施をすればするほど得度があるとか言ってしまうから、無神論者には胡散臭くなってしまうのです。

例えば数年前に修復が完了した世界遺産でもある姫路城にも(目標には届かなかったようですが)多くの寄付金がありました。
ホームページ上で一部寄付者を見ることが出来ますが、楽天の三木谷社長の名前もあります。

寄付や募金は、できる人ができる範囲で行うものですよね。
お役に立ててくださいと言う気持ちだけあれば、寄付もお布施も本来はいいものなはずなのですが、そうもいかないお寺の事情があります。

現代のお布施

時が流れ戸籍制度もでき、檀家制度がほぼ崩壊しました。
いまだに100万円を軽く超える離檀料を請求するような寺があるのには驚きしかありませんが、やはり人口減少によって地方農村部の寺は廃寺が進んでいます。
「お気持ち」だけでは成り立たなくなっているお寺が出始めているのです。

過去の強制的な檀家制度という歴史があるにもかかわらず、わたしたちの9割以上は葬儀を仏式で行い、僧侶にお布施をお渡しします。

檀家の数(分母)が限りなくゼロに近づき、お墓もお寺から霊園、散骨など多様化しているわけですから「気持ち」という名のお布施の額をどんどん上げていきたいのがお寺の本音だと思います。

そこに、イオンのお葬式がお布施の相場(2010年)など出してきたわけですから、たまったものではなかったでしょう。
戒名(院号)の相場は100万円以上と言われていた(いる)にも関わらず、イオンが表示した院号の相場は半額だったわけですから。

お坊さんには結局なにを渡せばいい?お布施?読経料?戒名料??
お布施定価表示事件2010年5月、巨大グループイオン(AEON)が、お坊さん紹介サービスとして僧侶を紹介する際に布施の価格目安を表示しました。伝統仏教のほとんどの宗派が結集する仏教界最大の団体である全日本仏教会は「お布施に定価はない」「企業...

 

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