タマシイはお墓にあるのか位牌にあるのか問題|悪いことが続いているのは先祖供養が足りないからです?

葬送

結論は個人の自由

私たちの魂(霊魂とか英霊とかいろいろ呼び名がありますが)の話です。
かなり真面目な話であり、かつ胡散臭い話にもなり得るとてもデリケートな部分です。

なので、まずもってお伝えしておきたいのは、すべての記事がそうであるようにわたし個人の個人的な話だということです。
その人が何を信じていてもそれはいい意味で勝手なことですので、なにも押し付けません。

この記事は特定の宗教や団体、個人をを非難・冒涜するものではなく、ひとつの答えを導くものでもありません。
わたし自身が疑問に思い、調査した内容を記事にするものです。

仏教徒なのか

位牌に魂があるのか、お墓に魂があるのかを考える前に、はじめに考えなければならないことがあります。

自分が本当に仏教徒であるかどうかということです。

私たち日本人の多くはみんながやっているから、みんなと同じなら安心という流れが強いです。
服装の流行も、高校受験も、就職活動も、そのような風潮が良く見られます。
どのようなことにもいい面もあれば悪い面もあると思いますので、これがいいか悪いかという話ではありません。

敬虔なイスラム教徒の方々が毎日5回のお祈りを欠かさず行っているのを見たり聞いたりしたことがあると思いますが、これを見てどう思いますか?
「えらいなー」
「素晴らしいなー」
「大変だなー」
などいろいろ感じることがあると思います。

では、私たちは日々何をしているでしょうか。
そもそも仏教徒としてしなければならないことはあるのでしょうか。

仏教徒の決まりは5個

定番として存在するのが五戒です。
モーゼ(モーセ)の十戒のような雰囲気ですが、内容は以下のとおりです。
①生きものを殺してはならない
②嘘をついてはならない
③盗んではならない
④姦淫してはならない
⑤酒を飲んではならない

①なかなか難しい戒律です。
生き物全てですから、蚊や黒くてカサカサ動く虫も殺せません。
②いけないことですね。
しかし、生きていくうえで多少のウソや方便はつくことがあると思います。
③これはダメです。
④淫行という意味合いになると思いますが、これは難しい問題です。
まさに人によって考え方が異なる部分です。(どこからが浮気なのか。という議論がありますよね)
⑤これを守っている僧侶に、わたしは会ったことがありません。
そもそもお酒のことを知恵の湯・般若の湯と言って(うさぎの肉を鳥肉と称したのと同じ理屈)、都合よく解釈しています。

これ以外にも、宗派によってさらに多くの戒律を設けているところもあります。
そして、この戒律をしっかり守っている方もおられるでしょう。

しかし、私たちはというと、このこと自体を知らなかったという方が多いのではないでしょうか。

最後のビッグイベント

クリスマスを祝いますか?
釈迦の生誕(花まつり)を祝いますか?
お盆は墓参りですか?
結婚式は教会ですか?神社ですか?お寺ですか?
イースターやハロウィンは?

私たちの多くはイベントが好きなんです。
そして死(葬儀)は、亡くなる本人以外にとっては大きなイベントであることは間違いありません。

何をしたらいいか分からない。
どこにお願いすればいいか分からない。
さらに、自分が何宗なのか、仏教徒なのか分からない。

となれば、まわりと同じようにすれば安心なのは間違いありません。
僧侶にお越しいただき、お経をあげ、戒名を授かり、位牌を作り、お墓に入る。

普段から仏教と関わらず、五戒を実践しているつもりがない自分(または故人)が、お酒(知恵の湯)を楽しんでいる僧侶にお経をあげてもらう。
最期くらいという気持ちもあると思うので、これを否定するものではありませんし、常日頃きちんとされている方にはまったく当てはまりません。

ただ、ここをクリアにしないと、タマシイが位牌にあるのか、お墓にあるのかという問題に踏み込めません。

仏教徒でないなら

ここまでで自分が本来の意味での仏教徒ではない。と思われた方は、位牌でもお墓でもどちらに魂があってもいいと思います。
むしろ、魂入れ(開眼供養)や魂抜きなどはしなくてもいいと思います。
投げやりではなく、本当に気持ちの問題ですから。

実際に多くの宗派においても、魂入れ(抜き)についての回答は様々で曖昧です。
慣習になってしまっているのだと邪推してしまいます。

お盆の時期に霊魂を迎えるというのは聞いたことがあると思います。
位牌(お墓)に魂があるはずなのに、お盆の時期に来る?!

これは仏と神が混同され、神道の風習とされていたものがいつしか仏教行事になったものと言われています。
関西地方の習慣である恵方巻が、何の意味もなく関東に来て、関東ではただの太巻き寿司パーティになっているようなものと考えると分かりやすいと思います。

そして、この恵方巻から分かる通り、そこにはスーパーやコンビニの販売戦略があります。
すなわちお金をどう稼ぐかです。

僧侶も石材屋さんも、生きていくためにお金を稼がなければなりません。

必要だと思う人が

位牌に魂入れをする、または仏壇自体に魂入れをする、はたまた、引越しのたびに魂を抜いてまた戻すなど、宗派によって名前が異なったり、形式が異なったりしますが、魂はそんなに簡単に動かしていいものなのでしょうか。
引越しに際して抜いた魂は、その間どこにいるのでしょうか。

魂は新しい命に宿るはずなのに、位牌やお墓にいても良いのでしょうか。
位牌を残して死んでしまったら位牌の魂はどうなるのでしょうか。

曖昧なんです。

気持ちの中で死者を弔い、死者を身近に感じるために仏壇があり、死者に会える場所としてお墓があります。
多くの僧侶が説くとおり、死者を弔うのは心の中です。

お墓がない人も、位牌や仏壇がない人もたくさんいます。
「あの人は仏壇もお墓もないから成仏しない」などと残念に考える人もいるかもしれません。
しかし、そのようなはずはありません。

お墓と位牌に魂を入れた方が、儲かる人がいるという話です。
そして、お金で解決するならそうしたい。と思う人がいるだけの話です。

まとめ

お墓に魂を入れるのか、位牌に魂を入れるのか悩んでいらっしゃる方は、本当にお優しい方なんだと思います。
ご自身が敬虔な信者さんでないのであれば、魂の存在だけ信じるのは不思議ではありませんか?

成仏するとかしないとか自体が各宗教の考え方ですから、周囲の葬送関係者に惑わされる必要はありません。
亡くなった方の形見やごく少量の遺灰などに、魂のようなものや気持ちが宿っていると考えるのもいいかもしれません。

わたし自身は魂はあると信じています。
しかし、それが位牌やお墓に宿るとは思っていません。

結局、答えを出せるのは皆さん自身しかいないのですが、ご自身で決められないという弱い方には、魂や霊、死後の世界観などを語って稼ごうとする悪徳な業者や僧侶がいるのも事実です。

人により、位牌にもお墓にも魂が宿るという人がいれば、どちらにも宿らない、どちらかに宿るという人もいる。
それは、誰かが決めることではないということだけは確かです。

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